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市の歴史

[2016年3月31日]

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生駒市年表
西暦和暦内容
1889年明治22年北倭村、北生駒村、南生駒村発足
1914年大正3年生駒トンネル貫通、大軌電車が奈良~上六間に開通
1918年大正7年日本で最初のケーブルカーが鳥居前~宝山寺間に開通
1921年大正10年北生駒村が生駒町となる
1927年昭和2年生駒~王寺間に信貴生駒電鉄が開通
1929年昭和4年生駒ケーブルが生駒山上まで延長。生駒山上遊園地開設
1931年昭和6年町営上水道給水開始
1947年昭和22年北倭村立北倭中、生駒町立生駒中、南生駒村立南生駒中各新制中学校開校
1953年昭和28年町立みなみ保育所開所
1954年昭和29年私立北倭幼稚園開園(1955年北倭村立高山幼稚園となる)
1955年昭和30年南生駒村が生駒町と合併
1957年昭和32年北倭村が生駒町と合併
1958年昭和33年生駒町役場が本町に新築移転
1959年昭和34年阪奈有料道路開通
1963年昭和38年県立生駒高等学校開校
1964年昭和39年生駒台小学校開校。新生駒トンネル開通。信貴生駒スカイライン開通
1966年昭和41年消防本部設置。給食センター設置
1968年昭和43年東生駒駅開業。ひがし保育所開所
1971年昭和46年なばた幼稚園開園
市制施行(11月1日)人口は37,439人、県下9番目。初代市長平本留吉氏
1972年昭和47年同和対策長期総合基本計画策定。滝寺公園プール完成。市営火葬場完成
1973年昭和48年生駒東小学校開校。生駒台幼稚園開園。消防署東分署開署。小平尾保育所開所。土地開発公社設立。第1次総合基本計画策定。06.3.12「樫」を選定
1974年昭和49年2代目市長に前川具治氏就任。生駒南幼稚園開園。県立北大和高等学校開校。中保育所開所
1975年昭和50年衛生処理場「緑水苑」完成。消防署北分署開署。市の花「菊」を選定
1976年昭和51年人口5万人超える。市民体育館開館。小平尾南児童館開館
1977年昭和52年学校建設公社設立(平成4年に解散)。真弓小学校開校。生駒幼稚園開園
1978年昭和53年市民憲章制定(平成13年全面改定)。俵口小学校、緑ケ丘中学校開校。俵口幼稚園開園。Hi-ovis実験放送開始
1979年昭和54年鹿ノ台小学校開校。あすか野幼稚園開園
1980年昭和55年消防署南分署開署。鹿ノ台地区公民館開館
1981年昭和56年イモ山公園プール完成。桜ケ丘・あすか野小学校、鹿ノ台中学校開校。桜ケ丘幼稚園開園。生駒メディカルセンター設立。中央公民館新築移転。消防署鹿ノ台分署開署。新市庁舎完成・移転。
市制10周年記念式典挙行。市歌制定
1982年昭和57年壱分小学校、上中学校開校。新学校給食センター開所。グリーンヒルいこま完成。井出山プール完成。第2次総合計画策定
1983年昭和58年生駒駅前南口再開発事業完了。生駒南第二小学校、光明中学校開校。壱分幼稚園開園。新消防本部・消防署庁舎完成、東分署を統廃合。総合公園体育館・グラウンド完成
1984年昭和59年大瀬中学校開校。第39回国民体育大会わかくさ国体・ハンドボール競技会開催、昭和天皇ご臨席
1985年昭和60年竜田川浄化センター、山田川浄化センター供用開始。生駒商工会議所設立
1986年昭和61年小平尾南体育館完成。近鉄東大阪線開通。図書会館完成(62年3月図書館開館)
1987年昭和62年第1回ふるさとふれあいまつり開催
1989年平成元年武道館開館。高山竹林園開園
1990年平成2年ふれあい振興財団設立。コミュニティセンター完成。竹野町、上北山村と友好都市提携。人口10万人を超える。福祉センター完成。第3次総合計画策定
1991年平成3年清掃センター、清掃リレーセンター完成。奈良先端科学技術大学院大学開学(法律上の設置、学生受け入れは平成5年10月)。
市制20周年記念式典挙行。生駒山麓公園ふれあいセンター完成
1992年平成4年消防緊急情報システム運用開始。健康センター(セラビーいこま)完成
1993年平成5年生駒山麓公園野外活動センター、フィールドアスレチック完成。高山サイエンスタウンまち開き、高山サイエンスプラザ開館。シルバー人材センター設立
1994年平成6年3代目市長に中本幸一氏就任。皇太子ご夫妻高山サイエンスタウンをご訪問
1995年平成7年阪神・淡路大震災生駒市救援対策本部設置。高規格救急車を導入。生駒駅南自動車駐車場完成。第8回全国スポーツ・レクリエーション祭女子ソフトボール競技開催。高山竹林園「円楽大楽茶」始まる
1996年平成8年70歳以上に交通費を助成する「生きいきカード」の配布開始。阪奈トンネル貫通。初めて「中・高生国際交流団」をカナダに派遣。ホームページを開設。初めて市民サービスコーナーをコミュニティセンターに設置
1997年平成9年日本海重油流出事故で職員45人を竹野町へ応援派遣。京阪奈北近隣都市サミットで大阪・京都府の5市と災害相互応援協定を締結。生駒駅前北口第1地区市街地再開発事業が竣工、アントレいこまがオープン。入院医療費助成を就学前の幼児まで拡大。第二阪奈有料道路が開通。こども110番の家制度がスタート。生涯学習推進基本計画を策定。東生駒駅前に景観モニュメント(時計塔)が完成
1998年平成10年障害者福祉基本計画を策定。情報公開条例施行。24時間巡回型ヘルパー事業を開始。南コミュニティセンターせせらぎ開館。芸術会館美楽来開館。ボランティアビューロー開設。近鉄ケーブルネットワーク(株)に300万円(1.2%)を出資(平成13年にも900万円を出資)
1999年平成11年テレトピア構想モデル地域指定を受ける。デイサービスセンター寿楽サービス開始。幼稚園三歳児保育モデル園で開始(平成13年度から全園で実施)。むかいやま公園完成。窓口業務に新パソコンシステム稼動。図書館新パソコンシステム稼動。コンピュータ西暦2000年問題対策本部を設置。近畿大学医学部奈良病院診療開始。PHSによる高齢者等位置情報提供システムを導入。デイサービスセンター幸楽サービス開始
2000年平成12年小瀬保健福祉ゾーン内で温泉掘削成功「小瀬の里温泉歓喜の湯」と名付けられる。除籍、昭和改製原戸籍システム稼動。地域防災計画全面修正。イメージキャラクター「たけまるくん」決定。「いきいき生駒カウントダウン21」を開催
2001年平成13年ふれあい市民駅伝大会開催。アントレいこま(1)屋上に高齢者施設「RAKU-RAKUはうす」オープン。温泉の販売を開始。保育所の保育時間を延長。IT講習会が始まる。新衛生処理施設「エコパーク21」が本格稼動。花のまちづくりセンターふろーらむがオープン。生駒山スカイウオークを開催。ロボフェスタ生駒を開催。生駒山麓公園に平和の塔「約束」が完成。「やすらぎの杜優楽」が竣工。矢田丘陵遊歩道「健康の森・シンボル交流ゾーン」が完成
市制30周年記念式典挙行。新市民憲章制定。
2002年平成14年完全学校週5日制スタート。ふるさとふれあいまつりの新名称「いこまどんどこまつり」に決定。住宅用太陽光発電システムの設置に補助開始。訪問理美容サービス開始。携帯電話用ホームページを開設。ケーブルテレビ加入促進補助を開始。住民基本台帳ネットワークシステム運用開始。市内の宿泊施設利用者に対する補助開始。エコハート利用券の交換始まる。北コミュニティセンターISTAはばたきオープン。高山竹林園とISTAはばたきに市民サービスコーナーを設置。
2003年平成15年地域情報ネットワークが稼働。タッチパネル式の公共端末機を13施設に設置。生駒市ハートフルプランがまとまる。中小企業特別小口融資制度の融資総枠を10億円に増額。高齢者と子どもたちの交流施設「金鵄の杜倭苑」がオープン。南地区市民農園(萩原町)オープン。乳幼児の医療費補助を就学前までに拡大。住民基本台帳カードの交付が始まる。ISO認証取得補助制度を開始。
2004年平成16年俵口小学校に太陽光発電施設が完成。生駒市消防署南分署が竣工。情報教育推進特区が認定される。カード様式の国保保険証を奈良県で初めて導入。エコパーク(イモ山公園)が全面オープン。中地区(山崎町)・西地区(小明町)市民農園オープン。教育支援施設がオープン。京阪奈新線東生駒トンネルが貫通。生駒市緑の基本計画を策定。
2005年平成17年京阪奈新線の正式名称が「けいはんな線」に決定。あわせて3駅の名称が「白庭台」「学研北生駒」「学研奈良登美ヶ丘」に決定。こども安全メールの運用開始。生駒駅前北口第四地区市街地再開発事業が竣工。子どもサポートセンター「ゆう」オープン。高機能消防指令センターが稼働。公共図書館で全国初の電子書籍専用端末の閲覧・貸出サービスを開始。生駒市コミュニティバス「たけまる号」の試行運行開始。生駒ボランティアセンター「ららポート」オープン。
2006年平成18年4代目市長に山下真氏就任。近鉄けいはんな線が開業し、大阪都心部と市北部との直通運転開始。各地区でタウンミーティングを開催。高齢者保健福祉・介護保険・障がい者福祉、次世代育成・地域福祉を一体的に捉えた第3期ハートフルプランの策定。
2007年平成19年法令遵守推進条例の施行及び法令遵守委員会の設置。入札監視委員会の設置。幼稚園預かり保育を全園で実施。まちづくり活動支援事業補助金の創設。コミュニティパーク事業の開始。
2008年平成20年男女共同参画都市宣言の実施、男女共同参画プラザを設置。「市民活動推進センターららぽーと」がオープン。電子入札の導入。生涯学習まちづくり人材バンク事業の開始。高齢者世帯等のごみ戸別収集(まごころ収集)の実施。「みっきランド」の直営化。通級指導教室のオープン。市内3箇所目の特別養護老人ホームがオープン。
2009年平成21年阪神なんば線が開通。近鉄電車と阪神電車が直通運転し、奈良~神戸間が結ばれる。自治基本条例の制定。第4期ハートフルプランの策定。宝山寺福祉事業団の生駒市総合支援センターあずさがオープン。情報公開条例の充実。
2010年平成22年第5次生駒市総合計画を策定。市立病院の指定管理者の指定、開設許可の決定。屋内温水プールやフィットネス設備が整った井出山屋内温水プール「きらめき」がオープン。平城遷都1300年記念事業として「いこま国際音楽祭」を開催。
2011年平成23年都市計画マスタープランの策定。景観条例を制定。「市民の森」制度を創設。「生駒市民が選択する市民活動団体支援制度」の運用を開始。生駒駅前北口第二地区の再開発組合が設立。住民基本台帳カードを利用した住民票の写しや印鑑登録証明書のコンビニ交付を開始。
2012年平成24年図書館北分館開館10周年。福島の子どもたちを生駒に招待する「ふくしまキッズinいこま」開催。
2013年平成25年「まちをきれいにする条例」を改正しポイ捨て・ふん放置などの過料の罰則規定を追加。第1回いまこいバル開催。
2014年平成26年生駒駅前北口市街地再開発事業の第二地区にベルテラスいこまがオープン。「環境モデル都市」に選定。旧生駒町役場庁を改修・整備し「ふるさとミュージアム」がオープン。消防署北分署が新築移転。
2015年平成27年生駒北スポーツセンターオープン。家庭ごみ有料化開始。5代目市長に小紫雅史氏就任。近鉄東生駒駅前に生駒市立病院開院。

生駒市の歴史 江戸時代まで

生駒地方の歴史は古く、生駒神社が雄略天皇のころに創設され、長福寺が聖徳太子の開基であるように、古くから文化の開花が見られていました。
古墳時代から奈良時代にかけては、行者役小角、僧行基、有間皇子、美努岡萬連などが足跡を刻み、平群氏が勢力を伸ばしていました。行基の開基といわれる円福寺、宝幢寺、法楽寺、稲蔵寺などは今も残り、竹林寺境内には行基の墓があります。平安時代になると、荘園経営が盛んになり、高山庄、生駒庄、庄田、小明、菜畑、萩原などの集落が開かれました。
また、平安末期から鎌倉、室町時代にかけては、山岳宗教や地蔵信仰が盛んとなり、各地に八大竜王や石仏がまつられるようになりました。
室町時代、生駒の北部を支配していた鷹山氏は、宗砌のときに茶の湯の道具として茶筌を考案しました。これが現在にも伝わる「高山茶筌」です。
応仁の乱以後、農民が郷士や地侍として豪族屋敷村を作るようになりましたが、戦国の末期からは、松永久秀、筒井順慶、豊臣秀吉、その弟秀長と支配が代わるとともに、刀狩りや検地などによって郷士や地侍も農民に戻され、郷村も近世の農村に生まれ変わりました。平群郡に17村、添下郡に5村が誕生したのもその表れです。
こうした中にあって、徳川時代の後期に入ると封建社会が確立、領主は安定し、身分制度も厳しくなり、農民は高い年貢に苦しめられるようになりました。当時の領主は、郡山藩と旗本領が交錯し、乙田に少数の天領もあって、石高は約1万石でした。
一方、延宝6年、僧湛海によって開かれた宝山寺は、天皇や将軍の信仰が厚く、民衆の参詣も多かったようです。また、生駒谷17村の氏神としての生駒神社も、大いに栄えました。さらに、元禄のころに大通上人がこの地に融通念仏宗を広めたので、この地にこの宗旨の寺が多くなりました。
幕末の混乱は、平穏な山里にも押し寄せ、高山地方の堀田領では駕籠訴、生駒陣屋支配の松平領では矢野騒動といった百姓一揆が起こっています。

(出典 生駒市誌・資料編)

生駒市の歴史 明治以降

明治に入ってからも行政組織の混乱と改革が続き、管轄する府県だけでも明治20年までに、奈良県、奈良府、堺県、大阪府、奈良県と、また、郡制下の自治制も、大区、小区、戸長、役場制と目まぐるしい変遷を繰り返しました。
しかし、文明開化の波は生駒にもいきわたり、明治22年の町村制施行により、生駒地方22か村は、北生駒村、南生駒村、北倭村の3か村に統合され、3村がそれぞれ独自の道を歩むことになりました。そして、明治30年には郡制の統廃合が行われ、平群、添下の両郡が統合し、新たに生駒郡が生まれたのです。
大正3年には、念願の生駒トンネルが幾多の困難を克服して貫通し、大阪と奈良間に大阪電気軌道、現在の近鉄が開通。山深い一寒村の夜明けとなり、生駒駅から山腹の宝山寺までの参道には、料理屋、飲食店、旅館、みやげ物店などの接客業者が軒をつらね、門前町として、また、今里新地と並ぶ花町として大いににぎわいました。
電灯や電話もつき、大正7年には日本最初のケーブルカーが駅と宝山寺を結ぶなど北生駒村は急速に開け、大正11年には町制を敷くに至りました。その後、大正14年には宝山寺まで登山自動車道が、昭和2年には南生駒を経て王寺まで信貴生駒電鉄、現在の近鉄生駒線がそれぞれ開通。生駒山上に遊園地が開発されるに及んで昭和4年には山上までケーブルカーが延長、昭和6年には長年の悲願であった上水道も完成、小さいながら「まち」としての体裁を整えるようになりました。このように、地方自治の形態も次第に整ってきました。それもつかの間、昭和16年には、国を挙げて太平洋戦争に突入、生駒も暗黒の時代を迎えることになりました。
幸い、戦災は免れたものの、国民生活の窮乏と参詣人の減少で、生駒の町も寂しくなりましたが、戦争中の疎開者をきっかけに都会からの移住者も増えはじめ、地方自治も新憲法による「住民による住民のため」の自治行政が行われるようになりました。そして、昭和30年3月10日に南生駒村と、昭和32年3月31日に北倭村とそれぞれ合併しました。
さらに、昭和34年6月に阪奈道路、昭和39年7月には新生駒トンネルが貫通するなど、大阪との距離はいっそう短縮され、ときの住宅ブームに乗って人口も急増し、昭和46年11月1日には、県下9番目の市制を敷くに至りました。

(出典 生駒市誌・資料編)

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