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    市民とともに創る協働のまちづくりシンポジウム(中川氏基調講演)

    • [更新日:2015年10月9日]

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     みなさん、こんにちは。日曜日でもありますにもかかわりませず、たくさんお越しいただいた皆様方、大変うれしく、ありがたく存じます。今日のお話は後ほどのパネルディスカッションにつなぐための、幾つかの項目を頭出ししていくのも1つの役割かと思います。いただいております時間が45分と少し短うございますので、早口になるかもしれませんが、御勘弁いただくようお願いします。

     まず、最初に自治基本条例をどうして生駒市がつくってきたのか、あるいはつくろうとしたのかということになります。これは、実は行政のリーダーシップでできた条例ではありません。市民の側からの盛り上がりがあって、こういう条例をつくってほしい、つくろうという運動があったのですが、いきなりこれをつくるというのは、作業的には簡単なんですけれども、市民の宝にならない。なので、じっくりと時間をかけてやりましょうよということで、連合自治会などの御協力などもいただき、その他NPO団体の御協力もいただくということで、少しずつ運動が盛り上がってきて、そして構想をつくり、それを行政の力をお借りして、第1中間報告、そして最終報告というふうに鍛え上げていく中で、ついに条例として固まったという経過をたどったように思います。

     なぜ、自治基本条例が要るかというと、一言で言いますと、生駒市というまちをほんまもんの市民の自治によってつくられているまちにするということであります。そのためには、3つの改革が必要だということも私たちは提唱したし、覚悟をしてまいりました。それは、市民社会、あるいは地域社会と言ってもいいでしょうか。この市民社会ももっとしっかりと活性化しなければ、自治体にはなりませんよという話と、それに合わせて行政も、それに合わせて改革をしてもらわないとなりませんよねと。さらに、市民も行政も変わっていくんだから、議会も変わってもらわねばなりませんよと。この三者に対する改革を突きつけることにも、結局はなっていったわけですね。でも、いきなりそんな話をしても、えっ、ということになりますから、じわじわと時間をかけて、足かけ6年ぐらいかかったと思いますが、ここまできた。ようやく、ようできたなと。これは、市民の力であろうと思います。

     それでは、自治基本条例を制定するということは、そのような改革を目指すことでもあるんですが、もっと具体的にはどういうことか。それは、自治基本条例とは何かということであります。それは、先ほどの市長さんのお話にもありましたように、自治体としての最高規範、最もレベルの高いルールとしてみんなが確認し、これを守るということを約束することですね。

     日本の国法体系という憲法に相当するものですが、法律学的には憲法に相当するものといっても、条例上は一緒の条例です。ですから、基本条例を尊重しますという政治的な約束です、これはね。その中には、自治体としての運営するに当たって、一番大事にする価値ということを明記します。それが、これも先ほど市長さんも触れてくださいました、基本理念ということになります。それは、すべての市民の人権が尊重され、人と自然が共生する安全で安心な、健康で活力のある文化の薫り高いまちづくりを進めるという基本理念になります。理念というのは価値のことですから、たくさん価値があります。それらの中で、この生駒は何を重視するかということを宣言したということですね。

     さらに、それを実現していくための行動原則、それを基本原則といいます。生駒の場合は、情報共有及び公開の原則、参画と協働の原則、人権の尊重の原則という三原則を確認しました。そして、さらに主役である市民、そしてそれをサポートしていく政治である議会、そして団体自治を実現していく行政、この三者の役割と責任を明確に示さないといけないということがはっきりしたと思います。

     世間でよくニセコ町のまちづくり基本条例が自治基本条例の第1号であるとよく言われますけども、ただしくは、あれは自治基本条例ではなかったんですね。なぜかといいますと、議会の項目が入っていなかったんです。今のニセコ町の条例は大改造を経まして、今のこの生駒市の条例に匹敵するような条文数等を備えているわけで、その中にはもちろん議会というのも入っています。だから、今のニセコ町条例は自治基本条例になりましたが、第1号と言われたときは、あくまでもあれはいわゆるまちづくり基本条例的なものであり、議会は入っていなかったんです。

     もう1つは、地方自治には2つの柱があると言われる、その2つの柱であります住民自治の明確化と、それから団体自治の責任の明確化をはっきりさせ、その双方の関係を強化するということは大事だということですね。住民自治と世間でよく言いますけれども、住民自治は行政法学的には団体を統制する権利というふうによく言われます。これは、首長及び特別職、議会議員等のリコール請求権、条例の改正廃止制定請求権、それから監査の請求権など、これがいわゆる住民自治の実態的規定だと言われるんですが、実はそうではないだろうと。それだけじゃないだろうと。住民自治による地域の自己統治権、あるいは住民自治による市民社会の運営権というのはあるはずで、これが実は今までの地方自治法では抜けておった。これを自治立法としての自治基本条例ではっきりさせて、そこに一定の実態を与えていきましょう。それは、例えば住民自治協議会などの組織をつくることもできますよ。あるいは、NPOなどの市民公益活動に対しての社会的意義を認め、それを支援していきましょうということをはっきりさせるということですね。

     さらに、団体統制権の発露であります、今言いましたリコール請求権、条例改廃制定請求権、監査請求権だけではなくて、さまざまな行政の意思形成過程、決定過程に市民が参画することをもっと海路を開き、そして行政の提供している公共サービスにももっと住民の力を入れていただいて共同方式でやっていくということに大きく道をあけていきますということを、ここで促したと。

     それから、住民投票もできますよと。これ、地方自治法上、住民投票は制度はありません。しかし、この自治基本条例では住民投票はできるということをはっきり明記しました。さらに、行政評価の仕組みに関しても、行政内部における内部評価だけではなくて、外部評価も取り入れることができますよ。あるいは、パブリックコメント制度は、もうこれは当たり前になってきますよ。それから、外部監査もこれから考えてみましょう。などの、こういう行政統制に対する住民の参加権も大きく幅を広げて中身を深く突っ込んでいけるというふうな形になっています。

     しからば、ここで今、申し上げました住民自治が3つあると言いました。団体への統制権、これはクラシックな古典的な言い方ですが、あともう2つある。地域社会を治めていく地域型の住民自治、個別の市民化社会の課題をみんな有志市民で解決していこうとするNPOのような課題別住民自治、これは例えば障がい者を家族に持つ家族の会とか、あるいは在住外国人を支援する市民の会とかいうのがいろいろありますね。これが今、申し上げた課題別市民自治です。これらをより一層活性化させていかなければ、市民社会は弱っていく一方であろうと。この問題意識も片一方にはあります。つまり、今のままでは行政はモデルチェンジしなければ弱っていく。今のままほうっておけば、超高齢化社会、少子化社会、あなた任せの孤独な群衆型の都市型社会も崩壊していく。この2つに対しても危機感を持って、この条例がつくられたということを申し上げたいと思います。

     さて、国による制度改革もこのような自治体の自立を促しております。誤解を避けるためにはっきり申しますが、お金がなくなってきたから、このままでは役所がやっていけないから、だから市民自治なんだ、だから住民自治なんだという流れでは決してありません。さほど、生駒は困ってきているというわけではございません。奈良県内ではかなり財政指標水準というのは高い方ではありますけれども、いつまでもこれが続くとは思えない。いずれ、高齢化もこの都市にやってきます。

     私は、今、三重県の伊賀市の財政分析をやり、それの再建のお手伝いをしておりますが、伊賀市は今から十五、六年前は大変富裕なまちでありました。しかし、人口構成が非常に偏っており、圧倒的に団塊の世代が集中していたまちなものですから、団塊の世代が引退、退職するに伴って財政状況が急速に悪化していきます。それは当たり前ですね。税金を納めてくださっていた方々が続々と引退されて、今度はサービスを受ける側に回っていく。その比率が急速にサービスの方に多くなっていく。生駒もこれに似た構造を持っていると僕は見ています。ですから、今のうちに手を打たなければ、いつまでもこの強い自治体であるわけはない。そういう意味で、国が断行しました小泉改革の三位一体改革も一定の危機感をもたらしたことは事実でありましょう。

     さらに、昨年から導入され始めた自治体破たん法制というのがありまして、イエローカード、レッドカードというふうにして、今年は大阪府でも泉佐野市が該当するというようなことになりましたし、奈良県内でも、一、二の市がこのイエローカードに該当するということで警告を受けていますね。

     さらに、それは何が怖いかといいますと、公債を発行するに当たって、今までのように横並びで縁故債でやってもらえるとか、助けてもらえるとか、あるいは国の後ろ盾があるからとか、県の後ろ盾があるからとかいうのがもう通用しなくなってきたんです。既に、大阪府の発行する公債は、東京都の発行する公債に比べて極めて高い利息でないと引き取ってもらえないという市中金融機関における競争が始まっております。例えば、この生駒市が生駒市債を発行するとすれば、どこの銀行が引き受けてくれるか。あるいは、どのぐらいの比率で引き受けてくれるかということに、もう競争状態に入り始めている。今、急いでこのような財政の非常に厳しい環境の中での信用の回復、あるいは獲得に向かって立ち向かっていかねばならないという外部的な環境の激変ということも考える必要があると思うんですね。

     それから、さらに民主党さんが勝利されたことによりまして、基礎自治体重視主義と言っております。これは、地方交付税交付金などを、ある一定の制限、あるいは縛りがあるのは事実であります。そういうものをなくして、ほとんどの財源を地方交付税交付金型に切りかえて、自主財源として使ってくださって結構ですと。一般財源に使ってくださって結構ですというふうに持っていくとおっしゃっていますが、そうなりますと、政策を打つ上で、これはなぜなのと言われたとき、いや、国の御指導ですから、県の御指導ですからなんてことを言っていられなくなるわけですね。道路をあきらめて、高齢化対応のための、いわゆる特別養護老人ホームを造る方に財政を振り向けるか。あるいは、世代間対立を飛び越えて、高齢化社会への対応はある程度とどめ置いて、少子化対応の方に予算を振り向けるかとかいう非常に厳しい政策選択が、市民も交えて決断せねばならない時代にもう入っていくということです。何でも首長の責任、役所の責任、議会の責任にばかりしておられなくなるんじゃないか。みんな全員参加で、あれもこれも、何でもやりますということも言っていられない。あれかこれか、そして順番をということの政策議論をみんなができるような自治体にしなくちゃならないということが、もう目の前に迫っていると思います。

     では、そのような状況の中で、強い自治体になっていくためにはどういうふうにしていけばよいかということを考えたいのですが、その前に、そもそも市民と政治、行政との三者の役割を考え直してみたいと思います。

     本来、国民、市民は、政治家若しくは政治体制を選択し、そして選ばれた政治家は、与えられたその在任期間中に政策を選択し、それをば行政に対して指示をする。これがいわゆる政治主導ということですね。であるはずです。行政は、国民、市民に対して、人でやるべきか、物でやるべきか、金でやるべきか、その組み合わせをどのようにすれば一番いいのかという、資源を最も効果的な、効き目のある最適選択をして住民、市民にサービス供給していくというのが本来の関係でした。これが大きく崩れてきてしまっておりました。まず、市民が選挙に行かない。政治選択しない。政治家もマニフェストをつくる能力なく、価値を選択しない。いうのは、自分の利益集団、いわゆる自分を選出してくれた支持母体だけのための政治をする。そして、広く世間に向かっては、あれもします、これもします、何でもします。すべての人に幸せをもたらします。東西南北、ちょうどすべてに均等に発展をもたらしますといううそ八百を並べる。もうこの時代は終わっている。行政もない袖は振れないはずなのに、乏しい資源を政治圧力の強いところにばっかり、文句を言わさないために、お金をばらまいてしまうというようなことを高度経済成長以後、この安定成長までやり過ぎてきた。もうこれはやめましょうと、市民ももっと行政経営に参画し、協働し、共同責任を発揮しましょう。一緒に責任をとりましょうという時代になったのではないか。

     政治も行政にばっかり、おまえたちは俺たちの家来だと威張るばかりではなく、政治に対する行政の政策選択のための情報供給、公開というものをちゃんと虚心坦懐に聞き入れて、優れた政策をつくるために勉強する。そして、政治家も市民、国民に向かって、選挙のときだけ情報公開じゃなくて、24時間常時情報公開であるという自覚のもとに情報を供給し、公開していくという、この時計の右回りから反対の流れが大事になってきたわけです。これが日本という国が言うに及ばず、地方自治体そのものも問われているわけです。ですから、市民はもっと参画しなければならない。行政はもっと政治に対してまともに政策助言、協働をしなくちゃならない。政治ももっと情報公開しなければならない。つまり、参画、協働、公開というのは、この三者すべてを通じた共通の主題であるわけです。

     それでは、一番大事な地域自治の話に焦点を置きたいと思います。

     生駒市の自治づくり、これは生駒市づくりでもありますが、生駒市の小学校区単位以下の旧の村落、郷村単位での地域自治づくりでもある。それから、向こう三軒両隣の自治会、町内会と言いますと、班単位ぐらいの近隣社会づくりでもある。これらすべてがまちづくりという言葉で包括されているわけでございます。

     そして、これに対して90年代までのまちづくりというのは、多くは地域経済活性化、駅前商店街再開発、土地区画整理、再開発ビルの建設などの経済的動機、発展動機からのまちづくりが多く意識されてまいりましたが、この時代は私はもう既にピークを越えていると思います。そうではなくて、これからのまちづくりは、今日、つまり地域共同社会、生活共同社会の再建、あるいは再創造を意味する、そういう社会資本形成の営みを意味するのではないかと思っています。

     今、社会資本という硬い言葉を使いましたけども、これは英語でソーシャルキャピタルと言いますけども、実は三層に分かれる社会の資本があります。一番古典的なのは、例えば整備新幹線、あるいは高速道路なども、これは社会的資本としてみなさん認識しておられると思います。生駒市レベルでいいますと、道路、通信、インフラ、上下水道、学校、あるいはここのような建物などもこのインフラというふうな呼び名で表されるわけですが、こういう施設、建築物、あるいは土地などに関する資本を私は社会的固定資本と言っています。ハードインフラとも言いますが。これからの時代は、これにあまりに過剰に投資するのではなく、必要不可欠にして最大効果をもたらす投資を厳しく選択する必要が出てくる。そのためには、あれもせい、これもせい、何でもせいは成り立たないということですね。

     それよりももっと大事なことは、ソフトとしての社会的共通資本と宇沢弘文先生がおっしゃった資本のうち、技術的、制度的、ルール的、マナー的、倫理的と言われる部分の資本、つまり暮らしをみんなで一緒にやっていく、道義、道徳、あるいはまちを営む技術などが、もっと定着して開発されねばならないのではないか。これは、早く言えば、社会的ないわゆるソフトですね。ソフトウエアです。これがまだまだ全国の都市型社会では整理され切っていない。みんなあなた任せになっておるのではないか。ここのところの投資がもっと必要ではないか。国で言えば、教育投資ということになりますね。

     それから、さらにもっと基礎的な資本として必要なのは人的資本です。例えば、自治会、町内会の役員をしてくださる。NPOのリーダーになっていこう。ボランティア頑張ってみよう。このようないわゆる世話役、あるいは奉仕を厭わないというふうな、こういうお方々が、実は地域社会における基礎的資本なんですね。このような人的資本に関する支援、あるいはネットワークをつなぎ合わせる。あるいは団体同士のコミュニケーションネットワークをもっと増殖させていくということを手がけていく。そこにお金をかけていくということによって、人材が次々と波及的に生まれてくるし、広がってくるし、また世代交代がちゃんと図れるという社会構造をつくらなければ、今のままいくと、日本の地域社会はあと10年で崩壊するというのも言われています。国もこのあたりに危機感を持って、コミュニティに関する研究会を発足させたところですが、私に言わせますと、やや手遅れだと思います。今こそ、人、仕組み、人づくり、組織づくり、あるいはネットワークづくりに当たるヒューマンウエアに投資すべきじゃないのだろうかと思います。

     簡単に言いますと、まずは人づくり。その次に、仕組み、ルールづくり。そして、その上に物をつくる、あるいは物の維持管理というふうに進めるのが本来の姿であり、これを間違ってきたのと違うかと。初めに物があって、ルールがついてこい、人が使おうと使おうまいと、それは俺の知ったことでないというような施設をつくる時代ではもうないということですね。

     このようないわゆるまちの資本というのは3つあるんだと分かっていただいた上で、ではそのように人が集まってきた、ルールもだんだん固まってきたとなると、どのようにまちを進めていくか。それがまちづくりの発展段階で、これはまず安全、安心のまちをつくらなければ意味がない。その次に、弱い立場の人、体の弱っている者、障がい者であるとか、在住外国人であるとか、それらすべての人々にとってまちが住みやすいかという、いわゆる弱者にとっての機能性の整備という点で点検をせねばなりません。

     これは、ユニバーサルデザインのまちと言えば分かりやすいんですが、それを言いますと、すぐに段差をなくせ、エスカレーターを造れ、やれ、防犯カメラをつけろというハードにばっかり話が行くんですが。例えば、白い杖をついて歩いておられるお方が、横断歩道に立っておられたら、一緒に渡りましょうかという市民文化があれば、余分な投資は要らないわけですね。そういうことも実は資本なんです。

     3番目に、社会的関係の場としてコミュニケーションは活発か、面識があるか、信頼関係はできているかを問われていくし、4番目にみんながいつでも学ぼうとしており、そしてまちを美しくしようと頑張り、そしてごみ1つもないというハイモラルな社会ができていく。これが貫徹されていきますと、最後にはオンリーワン、生駒市何々地区のまちとなり、めちゃくちゃ有名やでというようなことになって、あっちこっちに名を鳴り響かせるということになるわけです。このような自治会単位、いわゆるまちづくり協議会単位の超有名なまちがあっちこっちに、今、生まれつつあるのは御承知でしょうか。

     例えば、三重県伊賀市では柘植地区というところがもの凄い勢いで住民自治協議会が発達してきて、これは総務省の外郭団体が発行します、「まちむら」という雑誌の全国大賞になるということが決まりました。あと、神戸でもいっぱい自治で頑張り始めている町内会、自治会もあります。

     では、このような日本型地域社会を元気にさせていくためには、どのようにしていったらいいのか。

     初めに、住民自治を再創造して行くための方法ですね。気構えを持たねばならないと思います。それは、地域社会を変えていく、あるいは地域社会にもっと権限を渡していくという、改革と分権化を進めることであります。なお、分権というのは、はっきりと言いまして、3つ私は条件を達成することでないと分権と言わないといいます。それは、予算と権限と責任を三点セットで渡すことです。予算も渡さん、権限も渡さん、そやけど責任だけとってねという変な分権が三位一体改革当時、結構多かったというのが私の実感です。金もくれんと、権限も渡さんと言うて、責任だけ、おまえ持てというのは変やろうと。例えば、特例市に昇格した某市は、何が特例市になって仕事が移ってきた。計量機の検査事務です。この計量機の検査事務には権限だと言うんですね、都道府県の、それまでは。この検査事務は、都道府県から市町村に移ったことに応じて、どれだけの予算を移ってきたかというと、10万円やったそうです。お分かりですか。こういう見かけばっかりの分権はもう結構と私は言いたい。ですので、予算と権限と責任、その3つを実はNPOであるとか、市民社会のNPOであるとか、地域コミュニティ団体、すなわち自治会、町内会を中核とした住民自治協議会さんにお渡しをするということができるような、そういう強いしっかりとした地域社会をつくってほしい。ところが、この自治会、町内会のコミュニティ系団体も、現在弱ってきています。超高齢化です。後継者不足です。そして、役員改正のたびに、本当は若返っていって、一たん若返るはずなのに、大阪府内のある市では、役員改正のたびに平均年齢が上がってきているという反対の現象になってきます。

     そして、もう一方のアソシエーション系の団体であるNPO型市民組織にも弱点は多い。これは、社会的支持が薄い。財政基盤が薄弱である。あるいは経営能力が未熟である。離合集散ばっかりしていて固まらない。総合性がなくて、この分野ばっかりとか、そしてノイジーなうるさいマイノリティだというふうなイメージを印象づけているがために、余りみなさん、このNPOだと言ったときに、ああ、そうですかとすぐに信用なさらない風潮に最近なってきていますね。この地域コミュニティ団体もアソシエーション系のNPO団体も、どっちもが今、苦境に立っています。

     この2つは、実は敵対するべきものではなく、実は仲良くしなければならない。市民社会の縦糸と横糸を担っている2つの組織だと私は思っています。横糸に当たるのは、地域という面を横に広く押さえてくださっている自治会、町内会を中心としたコミュニティ型の団体ですね。縦糸に当たるのは、その中でもごく専門的な環境問題に強い、障がい者の問題に強い高齢者介護に強いというようなそういう団体さんが存在してくれることです。この2つがぴしゃっと合うことによって布ができる。これが今、2つばらばらになっていることの方が問題なんじゃないだろうか。それをうまく合わしていくことが大事だと思います。

     この2つは、実は組織の結成基盤の意思決定の手法も、行動動機も全く違う形。私たち人間が関わる上での典型的な異種集団なんですね。だから、コミュニティ型の意思決定とアソシエーション型の意思決定とは違う。また、動機も違う。なので、この違いをお互いに認め合うこと大事かと思います。これは、4ページ目の5番の(1)に、その違いを並べ立てておりますから、これを御覧いただいたら結構かと思いますが、時間の関係上、ここまで進めているとオーバータイムになるので、今日は省きます。全く違う組織なんです。しかも、この全く違う組織に私たちは入っておるということですね。

     それでは、このようなNPOさん、あるいは住民自治協議会さんに公共的な仕事を分担してもらい、そして大きな可能性を切り開いてもらうためにも、団体に幾つかの条件を提示しなくちゃなりません。特に、総合型の住民自治協議会を結成する場合は、地域の代表制は今の自治会の班とか地区長さんが代表してくださっていますが、世代の代表制が飛んでいます。子どもの代表、青年の代表、勤労者会層の代表、それがややも飛びがちなので、これを担保してほしい。

     それから、課題別の代表制が今、ばらばらになっています。福祉は福祉会、安全は安全委員会、防犯は防犯委員会、文化は公民館と、みんなばらばらになっていますが。教育はPTAと。これ、一遍、一同に会したラウンドテーブル、円卓会議の状態にもう一遍集合させることが大事ですね。このような課題別の代表制がばらけてしまっておることが問題。そして、さらにその他の属性別代表制と言いますのは、外国人代表がいるような地域もあります。また、障がい者の代表がやっぱり必要な地域もあるんじゃないか。あるいは、人権問題に関してはきちっとそれを代表してくれる団体が入ってほしいという地域もありますね。これらをちゃんとクリアしてほしいということです。

     話を先に進めます。

     では、団体も変わっていかねばなりません。今までのようなお役所公務員から生駒市市民自治政府の職員という位置付けに変わっていかざるを得ません。そのためには、機関委任事務型、国が言うてるからしようがおません。大臣の機関委任事務として市長がこれを預かっているだけですので、私らの一存ではどうにもという仕事が、かつてもの凄くたくさんありましたね。今でも、これは法定受託事務として残っておりますが、その典型は外国人登録の業務であるとか、あるいは衆議院とか参議院の選挙の事務、これが機関委任事務だったんですね。このような事務が役所、市の場合は大体45、6%ありました。都道府県の場合は大体70%弱と言われていますが、これはもう一昔前はもっと多かったんです。この施行法を改めて、法律、通達に基づいてということばっかり言わずに、法の最低基準をもう少し上乗せしたらどうなるの。はみ出して、ここんところに手は出されへんのというようなことを考えていかなあかん。今で言う、上乗せ、横出しということの可能性を点検する自治・自主立法主義に切りかえていく必要が出てくる。

     それから、政策評価システムも形成していかねばなりません。うまくいったか、役に立ったか、役に立たんかったか。総合計画もそれと連動するものでなくてはなりません。真の計画行政とは、計画の進行管理をきちっとし、目標管理をきちっとするということでもありますが、今の生駒市の総合計画はこの方向に向かって切りかわっています。まだ、基本構想は議会で御承認いただいていないと聞いていますが、原案の各章ごとに目標数値が入っている。今までの生駒市にはなかった総合計画に切りかわっていることは確実でございます。

     そうしますと、職員の文化も変わってこざるを得ません。職員自身も地域と関わる。自分も自ら市民として生きるということが奨励されるべきかと思います。地方公務員である職員さんも、労働者としての面と公益の守護者としての尊く厳しい面と、もう1つ生活者であり、市民であるという3つの面があります。とりわけ、その生活者であり、私も地域へ帰れば地域人なんだ。私も家庭に帰れば家庭人なんだ。私も行政サービスを受けている消費者なんだという立場をもっともっと生かしてほしい。そのような意味で、市民と手をつなぐことが可能になってくるんじゃないかというような行政の職員に対する市民的に文化の慫慂(しょうよう)と言いますが、奨励も必要になってくるかと思います。

     将来的には、地域担当職員制度をつくる必要性が出てくるかもしれません。そこまで申し上げると、ええっ、とみなさんびっくりされるかもしれませんが、もう既に神戸市では試行錯誤の段階から試行段階に入りました。21年度は全区に地域担当職員を配置につけています。そして、地域との間でのパートナーシップ協定、条例に基づくパートナーシップ協定を結べる団体、総合型住民自治協議会が各区ごとに最低1個はモデル的にできないといけないという課題が与えられ、競争状態に入っております。このような流れも御承知いただけたらと思います。

     しかしながら、職員は市民の家来ではありません。あくまでもパートナーであるということを忘れないようにお願いしたい。これが、職員と市民との間に壁をつくってきた原因ではないでしょうか。ここのところにおける市民、市民側の改革も必要です。私に言わせますと、市民も、今日来ておられる方は別と思いますが、ただ生駒に寝に帰っているだけという市民もおれば、ここに住んで結構長いけれども、市役所なんか信用するか。議会なんか信用するか、とにかく文句言わなあかんのやというストレスばっかり発散されている市民もおられましょう。それは困ったもので、私に言わせますと、最初の類型は、ただ寝に帰るため、これを「寝民」といいます。寝ている民ですね。寝台車の寝と書きます。これは、市長のお名前も知らん、市会議員選挙も見たことない、関係ないというタイプですね。第2類型を「植民地型居留民」といいまして、これ、英語でハビタットと申しますが、これは要求・陳情・分捕り・対決・文句たれ・収奪型居留民と、私は大阪弁で言うとります。このタイプの人たちもおもしろいな、参画協働でやれば、こんなに楽しいのかなという体験を手に入れられると、ほんまもんの市民になってくださる、大変貴重な予備軍なんですね。予備軍といったら、失礼ですが。ここに来ておられる方々はもう予備軍じゃない。もう前線の方々です。

     じゃ、ほんまもんの市民って何か。簡単です。もうここからは逃げないということです。このまちから逃げへんぞ。逃げないからこそ、このまち、大事にしたい。このまちの人が好きだ。空間が好きだ。このまちに流れていく時間が好きだという愛着の観念を持っている方々、これらを申し上げたら、市民というのはさほど難しいことはない。要は、こういうのを、土地に根を生やして生きるということを覚悟したときにグラスルーツになるわけですね。草の根になるわけです。根の生えてへんところに民主主義なんていうのは、砂上の楼閣だと私、思います。これは、念を押して申し上げたい。いつでも生駒から出ていったるねんという方では、民主主義の担い手としては不十分であると。グラスルーツデモクラシーというのは、ここに根を生やして生きる人々、その覚悟を持った人々の上に成り立つ民主主義だといったのはジョン・デューイでございますから。そうなりますと、議会も変わらざるを得ない。少数精鋭、政策審議型議会に変わっていかざるを得ませんし、議会活動ももっと公開されていくでしょう。地域利益の代表、団体利益代表型から、もっと広域的、専門的でかつ未来を見据えた議会活動に変わっていくだろうと思います。また、資源の制約の中で、あれもこれもから、政策選択型に転換せざるを得なくなりますので、イデオロギー型からプログラム提示、ストーリー提示、ストーリーテラーの政治家というのはたくさん期待されて出てくるだろうと。こう、考えますと、議会も自然に変わらざるを得なくなってきます。この取り組みは議会の方からももう既に始まっております。

     最後に、私が申し上げた地域のいわゆる総合型住民自治協議会というのが、条例にも書かれておりますが、それはどういうものなのか。これは、自治会、町内会などが中核に座ってPTA、あるいは防犯協議会、校区福祉会などのありとあらゆる団体をもう一度ばらばらにばらけたと言いましたね。これをもう一度統合、糾合して、概ね小学校区単位より小さいレベルで総合型の住民自治協議会をつくっていただくとなったときに、行政とのいわゆるコミュニケーションとかいうものも一本化していきましょうと、そういう構想です。ただし、同一の地域に2つ以上の協議会をつくることはできません。お分かりでしょうか。つまり、これはより公共性、公益性の高い準公共的団体として、近隣政府型の……。近隣政府って分かりますでしょうか。小さな地域小型政府のような機能まで果たしていただく非常に責任のはっきりした重たい組織ということになります。だから、当然準議会的な組織も必要ですし、執行部も必要ですし、規約もきっちりつくらねばなりません。当然、公開、透明という部分も原則になります。誤解のないように申し上げますが、小学校区単位ではございませんよ。小学校区よりも大きくしないほうがいいということですから、小学校区単位以下です。

     そのような住民自治協議会がまずおやりいただきたいのは、まちづくり計画をつくってくださったらなと思っています。その順番は先ほどと同じです。まずは、安全のまち、次に安心のまち、そして活力ある元気なまち、心豊かなまち、誇りが持てるまち、これがその順番だろうと思います。この心豊かなまちをつくる以前に、安全、安心すら保たれていないようなまちであれば、これはないものねだりであります。砂上の楼閣です。安全、安心のまちというのは、子どもがさらわれてしまって、殺されるなんて事件が起こり得ないまち。お年寄りが一人で孤独死していることがないまち。これをつくろうと思えば、一番大事なことは顔と名前が分かり合っている範囲の人間が心を通わしながら、みんなで暮らしを相談できるということですね。そうしますと、これはデューイが言いました、「面識社会の範囲」ということになります。あんまり巨大なものはつくらないほうがいいということになります。

     以上、ちょっと雑ぱくなお話を申し上げましたが、生駒市の自治基本条例はそのような地域社会への支援、あるいはNPO団体への支援、それから市民、住民による行政への統制権の拡大ということを思い切って制度化するということをはっきりとさせた条例でもございますので、これをいわばきっかけとして強いまち、誇りの持てるまち、そして美しくて、学力が豊かでみんなが楽しく生きられるまち、生駒をつくろうというふうに踏み切ってみんなで頑張っていきたいなと思っております。

     時間が参りましたので、私の問題提起とさせていただきます。どうもありがとうございました。

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    [公開日:2015年10月9日]

    ID:4192