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あしあと

    吉田 伊佐夫さん(2021年9月号掲載)

    • [更新日:2022年1月31日]

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    吉田 伊佐夫(よしだいさお)
    高山町出身。元産経新聞記者。中部大学教授の小島亮さんと生駒新聞の回顧と資料集「生駒新聞の時代」を7月に発行。生駒新聞へは1964年に初寄稿。

    半世紀続いた地元紙を後世に遺すために

    図書情報のデジタル化やインターネット上の情報が充実し、遠い場所に所蔵されている資料も自宅で簡単に閲覧できる現代。一方で、デジタル化から取り残された資料は、忘れられていく。戦後復刊の「愛郷新聞」を昭和32年から引き継ぎ、約半世紀にわたり本市で発行された新聞「生駒新聞」が、まさにその状態になりつつあった。試しに生駒新聞の創設者である「西本喜一」を調べてみると、出てくる情報は、ほんのわずかだった。
    「今、私たちが動かないと戦後の生駒の文化を支えてきた人物を知る機会がなくなってしまうと思ったんです。1970年代に共に生駒新聞に寄稿していた小島さんに誘われ、『生駒新聞の時代』を書き始めました」

    学生の頃から文学が大好きで自らも執筆しており、記者として新聞社に就職。当時は社会面や経済面を担当していた。しかし、思うような記事が書けず、精神的に不安定な時期が数年続いた。そんなときに西本さんや市内で生駒新聞に寄稿している人に誘われ、平成3年までに約30本、生駒新聞へ寄稿を続けた。
    生駒新聞は市民の人が研究した生駒の歴史や写真・文学、芸術作品などを多く掲載していた。そんな文化の香り高い新聞を一人で編集・発行していたのが西本さんだ。
    「誰にも分け隔てなく付き合っていた西本さんが作る生駒新聞は、どんな記事でも公平に載せていました。だからこそ数多くの寄稿者が集まったのだと思います」

    生駒新聞を通し、さまざまな人と出会えた。しかし、後継者がおらず平成4年に最終号を迎えた。若い人が生駒新聞を知らないのは当然かもしれない。そうした中で少しでもこの本に触れ、興味を持ってもらうのが目標だ。
    「これほど地元に愛され、文化・芸術色の強い地元紙は日本の近代文化史上珍しい存在。生駒新聞の存在や発行し続けた西本さん、寄稿し続けた人たちの名前を残していきたいと思いました。私たちが書いた本を読んだ人が、生駒新聞をはじめ、地域文化について私たち以上に調べてくれたらうれしいですね」


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    [公開日:2022年1月31日]

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