閉じる

共通メニューなどをスキップして本文へ

生駒谷に残る傘形連判状

菜畑村傘形連判状

  • 南田原村傘形連判状
  • 小明村傘形連判状
  • 辻村傘形連判状
  • 菜畑村傘形連判状
  • 有里村傘形連判状
  • 萩原村傘形連判状
  • 小瀬村傘形連判状

▲写真をクリックすると、上部の大きな写真が切り替わります。
また、大きな写真をクリックすると拡大画像を表示します。

生駒谷に残る傘形連判状かさがたれんぱんじょう

生駒市指定文化財
7点 江戸時代 慶応4年(1868)

慶応4年正月に起きた「矢野騒動」、「生駒一揆」と呼ばれる一揆の折に作成された傘形連判状です。旗本松平氏の所領であった生駒の11か村(5000石)のうち南田原・小明・辻・菜畑・有里・萩原・小瀬の7か村分の連判状が現在残っています。
幕末の動乱により領主側の出費がかさみ、領民に負担増を強いたため、小瀬村の与平ら惣代そうだいは従来の領主を拒否し、大坂の長州藩の陣屋へ願い出ました。嘆願を受けた長州藩の一隊は、辻村の陣屋に到着し、包囲していた約500人の百姓達が見守るなか、矢野代官ら陣屋役人を大坂へ連行しました。
「矢野騒動」は、「御一新」のさなかに起きた、全国的にも注目すべき一揆で、当地の人々の「世直り」への期待の大きさや領主を選びとろうとするたくましさをうかがうことができる、奈良県内でも珍しい貴重な史料です。

ページトップへ戻る