はじめに ~わたしたちの暮らしと景観~


 2.生駒の景観の成り立ち


 本市は、生駒山の麓に位置し、生駒谷の竜田川そして富雄川の流域にあって、谷筋に農地、集落、里山が一体となった田園の景観が広がる地域でした。この生駒に定着していた景観は、長い時間をかけてコミュニティの中で育まれてきたものであり、人の生活と景観が一体として成立していました。


 歴史に目を向けてみれば、宝山寺は古くから信仰を集める寺院として栄え、訪れる人をもてなすために門前には旅館やお店などが軒を連ねました。時を経た現在でも、参道筋を中心に昔を偲ばせるまちなみを見ることができ、参詣の文化を映したまちなみ景観といえます。また、生駒山を御神体として祀っていたと考えられる往馬大社は、日本有数の古社であり、本殿は七連の春日造桧皮葺(かすがつくりひわだぶき)、境内は鎮守の杜に覆われていて、奈良県の天然記念物「社そう」として指定されています。周辺には住宅地が広がっていますが、太古の昔から変わらない自然の森を残すその姿は、自然に対して畏敬の念を抱いていた日本人の心を象徴するような厳かな景観をつくっています。

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 やがて、鉄道が敷設されるとともに、生駒山に象徴される緑豊かなイメージを背景として、沿線部に計画的な住宅地が次々と整備され、都市化が進展してきました。住宅地はその時代の暮らしや社会の様子、建築技術などを反映し、それぞれの時代ごとに特徴あるまちなみを形づくってきました。


 一方、行政は、生駒山系や矢田丘陵に代表される緑豊かな自然を保全しながら、良好な住宅地景観を形成していくために、地区計画などのルールを定めて誘導を図ってきました。こうした経緯の中から現在の生駒の景観がつくられてきました。







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