コラム:往馬大社と火祭り

 往馬大社は、正式には往馬坐伊古麻都比古神社(いこまにいますいこまつひこじんじゃ)と言い、平安時代に編纂された延喜式にも載る式内社で歴史ある神社です。

 お祀りされているのは、伊古麻都比古神(いこまつひこのかみ)・伊古麻都比賣神(いこまつひめのかみ)をはじめとする7柱の神様です。平安時代の書物には「火燧木(ひきりぎ)」(浄火を起こす道具)を朝廷に献上していたとされ、朝廷の信仰も得る存在でした。大和朝廷成立の頃から、火にかかわる信仰をもつ神社として知られ、現在も執り行われる「火祭り」はそこに起源があると言われています。

 火祭りを見てみると、中心的な役割をつかさどる「ベンズリ」の服装は平安朝の武官そのものです。また、火の燃えあがる松明を持って駆け抜ける「火取り役」の姿は鎌倉期の山伏姿そのもので、祭りに関する禁忌やしきたりがことのほか厳しいことから、祭りの成り立ちには修験者などが深くかかわっていたものと推測されています。

往馬大社と火祭り

往馬大社の火祭り


役行者の伝説~庄兵ヱ(しょうべえ)道

生駒山の中腹には、宝山寺から教弘寺や鶴林寺を経て平群町の千光寺まで通じる「庄兵ヱ道」があります。江戸時代に整備されたものですが、古くは修験者が山駆けをして修行する行者道でした。

 また現在鶴林寺のある付近は鬼取山と呼ばれており、鬼の親子が棲みついて悪さを繰り返していたところ、役行者が現れて鬼を改心させたという伝説が残っています。

 生駒山の独特の雰囲気が、霊山として多数の修験者を惹きつけ、伝説が生まれ受け継がれてきたのです。


参考:『生駒谷の祭りと伝承』桜井満・伊藤高雄、『生駒谷の七森信仰』、今木義法 『生駒の祭礼』(教育委員会)



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