1月元旦・歳旦行事
市内の各神社・寺院では新年の始まりを祝い、又一年の無事を祈り祭礼行事がおこなわれます。
市内の各神社・寺院では新年の始まりを祝い、又一年の無事を祈り祭礼行事がおこなわれます。
神職が祝詞を奏上した後境内の高座と呼ばれるお旅所のなかを掛け声をかけ、鶏を追う仕草をしながら駆ける珍しい行事です。
市内の神社をはじめ各地域では、伐った竹を組んで正月の注連縄などを持ち寄って燃やすトンドが焚かれます。「棒の先につけた餅を焼いて食べると歯が丈夫になる、書き初めをかざして高く舞い上がると書道が上達する」などと言われています。
10年ごとに巡ってくる人の運命を支配する九曜星を祭り又は供養するため、本堂で曼荼羅をかけ星供の護摩が焚かれます。
湛海律師は十万枚護摩供27度、八千枚護摩供67度などの苦行を積まれました。その遺徳を偲んで国家安泰、五穀豊穣を祈願して山主により八千枚の大護摩供がおこなわれます。
鬼取の柴燈大護摩供は、山開きと呼ばれ、毎年4月3日(現在は4月第1日曜日)におこなわれてきました。護摩で護摩を焚いた後、行者問答をし、竹を組んだ護摩が焚かれると、参詣の人たちはその煙に当たり無病息災を祈ります。(現在行者問答のみが割愛されました)
祝詞奏上の後、境内の玉砂利の上で牛の面をかぶった牛役と田男役に扮した二人の奉仕人が棃や馬鍬で田すきの所作をして種籾を撒き、続いて巫女が早乙女役になって苗に見立てた松葉で植え付けの仕草をして秋の豊作を祈ります。
夏に向かい病気や災いを避けるため参詣者は茅の輪をくぐり、紙をヒト形に切った人形に名前を書いて身体をなで息を吹きかけ、自分の身代わりとして生駒川に流します。
千の灯りを灯して神霊を鎮め五穀豊穣を祈る式典が行われます。夕刻に本殿、摂社、末社へ灯明を灯し拝殿では神楽が奉納されます。
疫病、災いを防ぎ、五穀豊穣を祈願して大般若経600巻を転読し供養をおこないます。
万の灯りを灯して法要がおこなわれます。夕刻に本堂から奥の院への僧侶のお練りに続いて参詣者の手燭を持った姿が見られます。
毎年10月体育の日の前日(平成12年までは毎年10月11日)に開催されます。祭りの中でおこなわれる火取り行事は、各宮座のあった地域を上座(現在は北座)・下座(現在は南座)に分け、両方の座から1名ずつ選ばれた本火(火取り役)が神火の点った火松明を肩に担げて高座(お旅所)の前の石段を一気に駆け下り、どちらが早く降りるかを競う行事です。例大祭はこの行事に因んで「火祭り」と呼ばれています。
神社の宮座によって毎年10月体育の日(平成12年までは17日)に御供上げがおこなわれ、境内にある座の小屋では座子達が直会をし、神社付近をダンジリが引き回されます。
氏子によって毎年10月体育の日におこなわれる行事です。上町の座頭(古老)が御供餅を搗き、神社総代、トウヤなども加わって御供上げがおこなわれます。又境内では飾り付けられたダンジリが披露されます。
毎年10月第3日曜日(平成15年までは10月15日)におこなわれています。宵宮の夜(かつては本宮の午前零時に近い時刻)には6つの宮座による御供上げ、本宮の早朝に撤饌がおこなわれます。現在では子ども御輿や稚児行列などもおこなわれるようになりました。
北田原・南田原の旧村の地域の氏子によって毎年10月15日に御供上げがおこなわれます。
湛海律師の遺徳を偲んで国家安泰、五穀豊穣などを祈願して柴燈護摩供や火渡りの行がおこなわれます。
作物の収穫を祝い市内の神社では報告御礼の式典がおこなわれます。
融通念仏宗の檀家は市内の大半を占め、おもに中・南地区に多くあります。ご回在には、本山である大阪・大念仏寺から出向した僧侶の一行が生駒谷を廻り檀家一軒ずつで本尊天得如来図を掛け、先祖の回向をおこないます。
惣門の向かいにある大鳥居に大注連縄が奉納安置されます。
12月下旬南田原の古老で組織する長寿講の講員が境内に集まり注連縄が作られます。カンジョウ縄は神社に奉納された後本殿、鳥居などに付けられ迎春の準備が完了します。
1年間の罪を祓い、寒さや病気にそなえて、紙をヒト形に切った人形に名前を書いて身体をなで息を吹きかけ、祈願者の身代わりとして生駒川に流します。